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貴方の狂気が、欲しい 43話

 都会に少ない茶色だけだった木々にはいつの間にか新緑が芽吹いて街中に色を足していた。
 人々の顔も心なしか明るくなったように見える。
「本当に大丈夫なのか?」
「ああ」
 木戸は軽い手荷物を持って暁明シャオミンの家を出ようとしていた。
 もう片方の手には細い時枝の手首をしっかりと掴んでいる。
 無理矢理時枝に触れたあの日から、ほんの僅かだが時枝の木戸に対しての怯えが軽くなった。
 時枝は相変わらず話しをする事もなくじっとしている事が多かったが、それでも最初の時のような酷い怯えは無くなった。
 木戸はもしかしたら二人でいる時の方が早く慣れるかもしれないと思い、喧騒から離れた郊外に二人で暮らす事に決めた。
「必要なものは先に送っておいた。何かあれば遠慮せずにすぐ連絡してくれ」
「色々とすまない。きっと時枝を元に戻して会わせてやる」
 暁明シャオミンは寂しそうに頷いた。そしてゆっくりと後ろで俯いている時枝に近づいた。
 時枝はビクリとして後ろへ下がろうとしたが、木戸がグッと前へ引き寄せた。
 暁明シャオミンは優しく微笑んでそっと時枝の頬にキスをした。
 時枝は大人しく撫でられている猫のように、静かに違う所を見ていた。
「じゃあ。……行くぞ、時枝」
「杉下の事は私がきちんと見ているから、安心して。元気で」
 暁明シャオミンは木戸たちの乗った車が見えなくなるまで見送った。
 そして木戸と時枝の新しい二人暮らしが始まった。

 東京から驚く程遠くも無いが、周りには驚く程何もなかった。
 緑の山々が回りを囲み、平野には黄色い菜の花畑が広大に広がっていた。
 原色の絵具を零したように彼方此方が鮮やかな黄色だ。
 真っ青な空と大地の黄色さが簡単に木戸を感動させ、時枝の目を奪っていた。
 時枝が透明な窓ガラスに触れた。
「こういう所に二人で来るのは初めてだな」
 木戸はその窓ガラスを少し開けてやると、車内におひさまの香りが流れ込んできた。
 何だかホッとする香りだ。
 時枝の銀色の髪がキラキラと光りに反射して眩しい。
「危ないから手を出すんじゃない」
 時枝が暖かい風を掴もうと窓の外に白い手を出したのを見て、木戸が子供に注意するようにそっと車内へ戻してやる。
 遠くに昔ながらの車両数の少ない電車が走っているのが見えた。車両の下半分が赤色なのがレトロで可愛い。
 車で移動しないと軽い買物も大変な環境に木戸は最初不安を覚えたが、時枝には逆にいいかと思った。
 人目を引く外見なのであまり都会はよくないと考えたからだ。
 奇異な目で見られるのも心配だったが、それと同じ位にこの現実離れした美しさを多くの目から守りたいというのもあった。

「さぁ、着いたぞ」
 着いたと言ってはみたものの、普通の民家に住むのは初体験だ。
 オーダーメイドで作らせた二十万程の靴で土を踏む。
 木戸に何となく懐かしい感情だけがふわりと湧き起こる。きっと昔にこういう自然と触れ合った事があるのだろう。
 時枝は意外にも興味深気に小さな花に触ったり、蟻の行列を見つけてはその先頭を探しに追いかけたりしていた。
 今はきっと幼稚園から小学生の低学年くらいの状態なのだろう。
 表情が幼い。
 そういう昔の顔が見られるのは嬉しかった。時枝の過去とも一緒に過ごせる嬉しい面もあると、そう考える事にした。

 木戸は時枝を連れて中へ入った。
 一階建ての平屋のような造りだった。中に入って見ると思ったよりも天井も高く広々としていた。
 歩く度に木造が軋む音がするがそれもそのうちに慣れるだろう。
 少しのんびりと過ごしたい。そんな気分だった。
 広い畳の寝室に入ると、時枝はその青い畳の匂いに反応していた。その顔が可愛くて木戸思わず口元を緩める。
「今着替えるからそこで大人しくしてるんだぞ」
 木戸はもう用のない上等なスーツを脱ぎ白いワイシャツのボタンを外し始めた。
 用意してきたシンプルな黒いTシャツを鞄から出す。

 その様子を時枝は後ろからじっと見ていた。
 木戸がボタンを外し終わり、それも脱いで上半身を曝け出す。
 引き締まった筋肉が艶っぽく動く様子を時枝の視線が追っていた。
 木戸がTシャツに手を伸ばした時だった。
 背中にヒヤリと冷たい物が触って驚いて振り返ると、時枝が自分の真後ろにいて驚いた。
 先程の無邪気な顔とは一変して明らかに欲情の色持った目で木戸の身体に反応していた。
「お前……」
 今の状態の時枝から木戸に触れてくるのは初めてだった。
 木戸は、そう言えばここの所引っ越しの準備で忙しくしていて時枝を楽にしてやれていなかった事を思い出した。
 時枝の指先が舐める様に後ろから木戸の腹筋へと移動すると、木戸は首筋辺りまでゾクッとした。




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