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それから67話

―すまない、渡ッ・・ありがとうッ・・!

 淳平はギュッと強く目を瞑った。
 渡の想いを受け止め、剥き出しの地面を蹴って走った。
 激しく砂利を踏みつける音を立てながら、一分一秒を争う瞬間を想って酸素が足りなくても構わず走った。

―弘夢ッ・・・・

* * *

 時枝に連れて来られた弘夢は断崖の下を覗き込んだ。15~20メートルはあるだろうか。かなりの高さの下で大きくうねった波が崖の壁を駆け昇ろうとしていた。
 鼠返しにも似た構造のその抉れた崖は何百年もかけて波が岩盤を削って来たのだろう。
 絶壁にそって右の方を覗くと、崖はなだらかに加工されて防波堤が組まれていた。

 海に吹く風は何故こうも強いのか。風に押されて大きく波立つその海水は冬に見ると一層に冷たそうに感じた。
 曇天の下に広がる海原は灰色がかった群青だ。
 太陽に反射する煌めきもなければ透明度もない。計り知れない底の深さを思わせるような、今の弘夢にはただ恐怖心を煽るだけの不透明な海がどこまでも広がっていた。

「そこから飛び込めば海の下には岩が無数に隠れてますから、それに当たって死ねますよ」
 時枝の淡々とした説明が何だか妙に恐怖心を拭い取るようだ。
「あと1時間ですからそれまで好きにしていて下さい」
 そう言うと時枝は冷たい風で手が寒かったようで黒い皮の手袋をした。そして携帯を取り出しどこかに掛けながら車の元へ歩いて行った。
 真正面から止めどなく吹く風が冷たくて寒い。崖の先端に座りこむとゴツゴツとした岩肌の感触とヒヤリとした冷たさが臀部に伝わり、トレンチコートとマフラーをギュッと身体に引き寄せた。

(可笑しいな・・これからもっと冷たい所へ行こうとしているのに・・)

* * *

 いつものように車の後部座席で仕事に向かう木戸のポケットで黒い携帯が耳触りにならない程度の音で鳴った。
 木戸は急になった携帯をいつもと同じように取る。
「何だ」
『時枝です。緊急の予定がございます。』
「どうした」
『今から1時間後に弘夢くんが織部(おりぶ)岬で自殺される予定になっております。』
 木戸は止まった。如何にもふざけているとしか思えないこの言葉は、時枝から直接聞く事で疑いようのない事実だという事を認めざるを得ないものになる。
『木戸さま・・もう、分かってらっしゃると思いますが、あの子はやはり貴方の思い通りにはならないようです。私も、これ以上貴方に苦しむ想いをさせたくはありません』

「時枝、お前自分が何をしようとしているか分かっているのか。自分もどうなるか分かっているのか!?」
 木戸は怒りで声を雷の様に荒げた。運転手がビクビクとバックミラーで木戸を見る。
『はい。覚悟は出来ております。時間厳守で執行させて頂きます。以上、報告でした。失礼致します』
 一方的にプチッと切れた電話を震える手で握り締めてもう一度時枝に掛け直すが電源は既に切られていた。
「クソッ・・・・おい。」
 木戸は怒りを含んだ魔獣のような目をバックミラー越しに運転手に向けると、運転手は刃物でも喉元に突き付けられたような感覚に震えた。
「は・・・はいっ」
 運転手の声が裏返る。

(ここからなら丁度その位で着く。急におかしな予定を組んだものだと思っていたが・・あいつ、最初から狙っていたか・・)

「今から至急織部岬へ直行しろ。1時間以内で着かなければ・・五体満足で帰り道を走れると思うなよ」
 運転手は一気に血の気が引き、次の瞬間にはアクセルを思い切り踏んでいた。

* * *

 時枝は電源を切った携帯を車の窓から助手席に放った。

(後は前に電話した渡がどうでるか・・ですか。)


 時枝は大分前に渡に自殺の日程を伝えていた。

『以上が今後の彼の予定です。』

『・・何故それを僕に言ったのですか』

『弘夢くんが死ねば任務は強制的に終了となりますし、貴方もこの仕事に関わっていたのですから最後の報告として受け止めてくれれば結構です。この話を聞いて、貴方がどう出るかは任せます。』


 時枝は右腕をほんの少し捲り、時計を出すと時間を確認した。
 あと30分もない。
 風が時枝の髪を乱して美しい横顔に張り付く。それをサラリと黒皮の手袋で払い除けた。
 時間は皆に平等にある筈だが、それぞれが感じる時間の長さにはハッキリと違いが感じられているのが不思議だ。

―あと、15分。

 時枝にとってそれはとても長く感じた。



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とうとう全員が揃いそうですッ(>_<)

★「それから」はすれ違った後に(全10話)の続編です。 

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